福井地方裁判所 昭和33年(行モ)2号 決定 1958年10月04日
申請人 鷹巣晃海
被申請人 福井県教育委員会
主文
被申請人が申請人に対し昭和三十三年六月十一日為した「申請人の福井県立丹生高等学校講師(常勤講師の意味)の職を地方公務員法第二十八条第一項第一号および第三号により免職する。」との行政処分の効力は当庁同年(行)第五号行政処分取消請求事件の本案判決に至るまで停止する。
申請人その余の申請を却下する。
申請費用は被申請人の負担とする。
事実
申請代理人は、被申請人が申請人に対し昭和三十三年六月十一日付で為した同年四月一日付依願退職辞令及び同月三日付非常勤講師発令辞令をそれぞれ取消しの上改めて分限免職を為した行政処分の効力は当裁判所昭和三十三年(行)第五号行政処分無効確認等請求事件の判決に至るまでこれを停止する、申請費用は被申請人の負担とするとの決定を求め、申請の理由として、
(一) 申請人は昭和二十三年九月二十三日福井県丹生高等学校(以下丹生高校と云う)講師(常勤講師の意味、以下単に講師と云う場合は常勤講師を指称する)として採用せられ、昭和二十四年十月一日付で同校教諭に任ぜられ、昭和二十八年五月二日付で再び同校講師に任命替を為され、以来昭和三十三年四月一日まで、地方公務員法の適用を受ける一般職としての身分を保障せられて勤務していたものであり、被申請人は申請人の任命権者である。
(二) ところで申請人は地方公務員として誠実にその職務を遂行して来たのであるが、昭和三十三年二月頃に至り被申請人から明治三十四年八月三日生れであつて当時すでに五十五歳以上に達していたことを理由に退職を強要せられ、ついで同年三月中に再び退職を強く迫られ、退職願の提出を求められたが、申請人はその都度、理由のない退職強要には教育者としての信念から応ずることができず且つ家族七名(妻四十八歳、姉六十三歳、三女中学三年生、長男中学一年生、四女小学四年生、五女小学一年生、二男四歳)を抱え生活の上からも絶対に退職はできないと云つて退職を拒んでいたところ、同年四月二日突然丹生高校において校長面野藤志から同年四月一日付の「願により職(講師の職の意味)を解く、退職理由家事都合」と云う被申請人名義の辞令を交付せられ依願退職処分を受け、ついで同月三日付で非常勤講師に採用する旨の辞令を受けた。
(三) けれども申請人は未だ曽つて被申請人に対して退職を願い出たことはなく且つ退職願も提出したこともないのであるから、申請人が任意に退職を願い出でたことを前提として為された右依願退職の行政処分及び非常勤講師に採用の行政処分はいずれも無効を来すべき重大且つ明白な瑕疵のある行政処分であつてその効力を生じないものである。
(四) よつて申請人は当裁判所に対し右行政処分の無効確認の訴を提起(同庁昭和三十三年(行)第四号事件)すると共に、その本案判決を待つにおいては著しい損害を蒙る虞があるので右行政処分の執行停止を申請し(同庁同年(行モ)第一号事件)、同年五月二十一日前記行政処分の執行停止決定を得たが、他方右本案訴訟事件は同年七月二日午後一時を第一回口頭弁論期日と指定せられた。
(五) ところが、被申請人は突然申請人に対し同年六月十一日付で、「貴職に対する昭和三十三年四月一日付依願退職辞令及び同月三日付非常勤講師(月手当金四、〇〇〇円)発令の辞令をそれぞれ取消しの上改めて本日付で左の通り免職したから通知する。」「理由、地方公務員法第二十八条第一項第一号及び第三号。」と云う講師分限免職の行政処分を受けた。
(六) けれども右分限免職の行政処分は無効である。すなわち、
(1) 被申請人が為した昭和三十三年四月一日付の依願退職処分の実質は、申請人をして講師の職を免ずることを目的として為されたものであることは当裁判所昭和三十三年(行モ)第一号事件における被申請人の意見に徴しても明白である。それ故に講師免職と云う同一目的のため右依願退職処分を取消しの上改めて講師分限免職処分を為すことはいわゆる一事不再理の原則に違反し、講師分限免職処分はその効力を生じないものである。
(2) 仮に右理由が認められないとしても、右分限免職の行政処分は被申請人の著しい処分権の濫用によるものであつて無効である。詳言すれば被申請人が右行政処分の理由とする地方公務員法第二十八条第一項第一号、第三号に該当すると称する事実はいずれも十年以上前の事実を故意に歪曲或は捏造したものであるが、このように故意に歪曲或は捏造せられた事実を根拠として分限免職処分に付することはできない。それ故に被申請人が故意に歪曲或は捏造した事実を根拠として申請人に対し分限免職処分を為したことは著しい処分権の濫用であつて、右処分は無効である。
(七) 仮に右分限免職の行政処分は無効でないとしても、少くとも取消を免れないものである。すなわち
(1) 右分限免職は福井県教育委員会規則(昭和三十一年二月一日同規則第二号)第八条、第三条に違反する違法な処分であつて取消を免れない。詳言すれば、右行政処分を為すことは、同規則第八条にいわゆる「急施を要する事項」とは云い得ないから、教育長が専決執行を為し得べきものでなく、同条第九号(委員会および学校その他の教育機関の職員の任免賞罰および服務の監督の一般方針に関する事項)、或は同条第三十号(前各号のほか重要異例と認められる事項に関する事項)に当るものとして、当然教育委員会が同規則第三条第三項に従い、会議に付すべき事項、会議の日時場所を予め福井県報に登載して委員を招集し、委員の合議制を以つて審議せらるべき事項であるのに拘らず、被申請人は右の手続を為さず右の行政処分を為したものである。それ故に右分限免職の行政処分はその手続において瑕疵があるから取消を免れない。
(2) 仮に右理由が認められないとしても、右分限免職の行政処分は、前記処分通知によつて明白なとおり、一個の行政処分で、昭和三十三年四月一日付依願退職辞令の取消、同月三日付非常勤講師発令の辞令の取消、同年六月十一日付分限免職処分と云う三個の効力をもつ行政処分を為したものであるからもとより違法であつて取消を免れない。
(3) また仮に右の理由が認められないとしても、右分限免職処分は何等の予告もなく行われたものであるから、労働基準法第二十条に定める解雇予告なしに行われた違法があり、それ故に取消を免れない。
(八) そこで申請人は当裁判所に対し被申請人を相手として、昭和三十三年六月十一日付で被申請人が為した同年四月一日付依願退職辞令及び同月三日付非常勤講師発令辞令をそれぞれ取消の上改めて分限免職を為した行政処分の無効確認等を求める訴訟を提起し、目下同庁同年(行)第五号事件として審理中であるが、申請人は前記のとおり家族七名を抱え、その内義務教育に服しているものが四名に達していて、従来の俸給月額金二万三千円で辛うじて生計を維持して来たのであるが、前記分限免職の行政処分によつて収入の途を絶たれ、即日路頭に迷うに至つたので、右の本案事件の判決の結果を待つにおいては著しい損害、しかも家族の生活を維持し得ないと云う社会問題を惹起する虞れがある。よつて本件申請に及んだ。
と述べた。
(疏明省略)
被申請代理人は、申請人の申請を却下する、申請費用は申請人の負担とするとの決定を求め、申請人の申請理由につき、
(一) 申請人の主張する(一)ないし(五)の事実については、以下(1)ないし(5)に述べる事実と牴触する部分は否認すると前提し、
(1) 申請人は昭和二十三年八月三十一日丹生高校講師として採用せられ、昭和二十五年三月三十一日同校教諭に任命せられたが、昭和二十八年四月三十日右職を免ぜられ、同年五月二日再び講師に採用せられ、昭和三十三年三月三十一日まで勤務していたもので、地方公務員法の適用を受ける一般職であつたこと及び被申請人が申請人の任命権者であることは争わない。
(2) 申請人は明治三十四年八月三日生で福井県教職員中の最高年齢者であり、福井県の人事異動方針における年齢内規基準である男子教員五十五歳、高等学校長五十七歳からみて全く異例的存在である反面、申請人には地方公務員法第二十八条第一項第一号及び第三号に当る事由があつたので、右法条により申請人を免職処分に付することもできたのであるが、被申請人は申請人の将来を慮り、昭和三十二年三月中申請人に対し穏かに依願退職を励奨したが申請人はこれに応じなかつた。けれども昭和三十三年三月二十八日被申請人は申請人の出頭を求め、被申請委員会教育課長補佐大森陽が福井県教職員組合副委員長岩本巌立会の上申請人と話合つた際、右大森から、「退職(講師を退職する意味)を条件として非常勤講師に採用する。」との旨を申入れたところ、申請人は、「お願い致します。」と明確に答え、講師を退職することを承諾した。そこで被申請人は同年四月一日講師を依願退職、同月三日非常勤講師採用の各発令を為し、同校々長面野藤志を通じて右各辞令を交付したが、当時申請人は納得して右各辞令の交付を受けたのである。
(3) それ故に被申請人は依願退職及び非常勤講師採用の各処分は、申請人の明確な意思表示に基いて為された有効で何等の瑕疵のないものと信じていたところ、その後申請人から退職の意思を表示したことはないと称して右行政処分の無効確認請求事件(当裁判所昭和三十三年(行)第四号事件)を提起し、同時に右行政処分の執行停止を求め(同庁同年(行モ)第一号事件)るに至つた。
(4) そこで被申請人としては、退職願に関する証拠の確保について若干遺憾の点がないとも云えなかつたので、申請人の主張するとおり右行政処分には瑕疵があつたことを認め、昭和三十三年六月十一日前記同年四月一日付依頼退職の辞令及び同月三日付非常勤講師発令の辞令をそれぞれ取消し、且つ同日付で申請人の主張するとおり地方公務員法第二十八条第一項第一号及び第三号により分限による免職処分を為し、同月十二日これを申請人に通知したのである。そして申請人は同月十七日、昭和三十三年四月一日から同年六月十一日までの常勤講師としての俸給月額金二万二千円の割合による金員と家族手当とを受領したものである。
(5) 他方、前記依願退職処分等無効確認請求事件については同年八月二十七日(イ)「申請人に対する同年四月一日付依願退職処分」並に(ロ)「同月三日付非常勤講師採用処分」はいずれも無効であること及び(ハ)「被申請人が為した同年六月十一日付の右各行政処分の取消処分」は有効であること、従つて右四月一日付及び同月三日付の依願退職処分並に非常勤講師採用の各行政処分は右取消によつてすでに消滅したことを前提として依願退職等の処分の無効確認又はその取消を求める申請人の請求を棄却する旨の判決言渡があつて、該判決はすでに確定したのである。それ故に今さら右(イ)、(ロ)、(ハ)の三箇の行政処分の無効又はその取消を主張することは許されない。
(二) 申請人のその余の主張はすべて否認する。すなわち、
(1) 同(六)の(1)の主張については、本件分限免職の行政処分は三箇の効力を有する行政処分を三つの行為によつて為したものであつて、偶々これを一通の通知書に記載して申請人に通知したに過ぎないから、申請人の主張するような違法はない。
(2) 同(2)の主張については、申請人には別紙免職事由明細記載のとおり地方公務員法第二十八条第一項第一号、第三号に該当する事由があつたので、その事由に基いて分限免職処分を為したものであるから、申請人の主張するような違法がない。
(3) なお、申請人は、檀家二十数軒を有する専浄寺の住職であつて、申請人個人として宅地四十坪、山林一町七反五畝六歩、畑二畝四歩を所有し、寺として、山林九反一畝十五歩の外本堂、庫裡等の建物を所有して居り、住職だけで充分生活し得るものである。それ故に申請人は行政事件訴訟特例法第十条に云う償うことのできない損害を蒙ることはない。
(三) 被申請人は昭和三十三年七月十日やむを得ず申請人の後任として丸木憲司を発令し現に同人は勤務中であるから、再び申請人をして勤務せしめることは困難である。
と述べた。
(疏明省略)
理由
昭和三十三年四月一日当時申請人は丹生高校講師として地方公務員法第三条に定める一般職として、同法第四条第一項により同法の適用を受ける身分を有していたこと、被申請人が申請人の任命権者であること、同日被申請人から、講師の職につき依願退職の処分を受け、同月三日非常勤講師に採用の処分を受け、申請人がそれぞれその旨の通知を受けたけれども、右依願退職の処分には申請人の意思に基かなかつたと云う明白且つ重大な瑕疵があつたので、地方公務員法第二十七条に違反するものとして、被申請人において自発的に同年六月十一日これを取消し、同時に、右非常勤講師採用の処分をも取消した上、同日改めて申請人に対し同法第二十八条第一項第一号、第三号により講師分限免職の処分を為したことは当事者間に争がない。
そして右同年六月十一日為された講師依願退職処分の取消処分、非常勤講師採用処分の取消処分及び講師分限免職の処分は同日付教学第三五三号免職通知と題する一通の書面で且つ昭和三十三年四月一日付依願退職辞令および同月三日付非常勤講師(月手当四、〇〇〇円)発令辞令を取消しの上改めて分限による免職(講師の職を免ずる意味)した旨の文言を以つて、被申請人から申請人に対して通知せられ該通知は同月十二日申請人に到達したことは乙第二号証(丹生高校長証明書)、第四号証(申請人の審査請求書)によつて明白である。
ところで、およそ行政処分の効力は特別の規定のない限りその行政処分を受けた者がその旨の通知を受領した時においてその効力を生ずるものと解せられるが、本件においては右認定の事実からみて、六月十一日為された講師依願免職処分取消処分及び非常勤講師採用処分取消処分は前記文言を以つて、右分限による免職処分の通知と共に同月十二日申請人に到達したのであるから、右の講師依願退職処分取消処分及び非常勤講師採用処分取消処分の効力は同月十二日発生したものとみられる。それ故に申請人は同月十二日に至つて初めて講師の身分を回復し得たものであつて分限免職の処分の行われた同月十一日には申請人は非常勤講師の身分しか有しなかつたものと云わなければならない。
もつとも申請人は右各取消処分を為した委員会の招集手続に瑕疵があつたとして右各取消処分の効力は無効ないし取消を免れない旨を主張しているけれども、右各取消処分はむしろ申請人の目的にかなつた利益な処分であることに鑑みその無効ないし取消を主張することは法律上の利益を欠くものと思料せられる。
そこで非常勤講師と地方公務員法の適用の有無との関係をみるに、教育公務員特例法第二条第二項、第一項、第三条、地方公務員法第三条、第四条により非常勤の講師は地方公務員の特別職に当り地方公務員法の適用を受けるものではないことが明かである。それ故に同月十一日被申請人の為した前記分限免職処分は地方公務員法の適用を受けない非常勤講師の身分しか有していなかつた申請人に対して地方公務員法第二十八条第一項、第一号、第三号を適用して講師分限免職の行政処分を為したもので明かに違法であつて、右行政処分は取消を免れないものと思料せられる。そして申請人が右行政処分の取消等の訴を提起(当庁昭和三十三年(行)第五号事件)し目下審理中であることは当裁判所に顕著の事実である。
他方、申請人の申請のうち前記四月一日付講師依願退職辞令及び同月三日付非常勤講師発令辞令の効果を争う部分はそれぞれ右各辞令が講師依願退職処分、非常勤講師採用処分に伴つて申請人に右各処分の行われたことを通知する手段として採られているものと解せられることに鑑み、右各処分が、すでに当裁判所昭和三十三年(行)第四号事件の判決確定により、前記六月十一日為された被申請人の前記各取消処分によつて消滅(従つて右各辞令の効果も消滅したものとみられる)したことを前提として、申請人にその無効確認またはその取消を求める利益がないことに確定したことが当裁判所に顕著であり、且つまた、すでに認定したとおり、前記各取消処分は同月十二日その効力を発生したのであるから、これによつて前記各辞令の効果は消滅したものと解せられる。それ故に今さら右各辞令の効果までも争う法律上の利益も必要もないものと思料せられる。
ところで前記六月十一日為された講師依願退職処分取消処分及び非常勤講師採用処分取消処分により申請人は再び講師の身分を回復し従前の給与を受け得ることになつたのであるが、同時に前記講師分限免職処分が取消されず執行せられている限り、右給与も得られないものと考えられるところ、申請人はその上申書で明白なとおり家族七名を抱え、資産としては、被申請人が自ら認めているとおり宅地四十坪、山林一町七反五畝六歩、畑二畝四歩を所有し、他に申請人が住職である専浄寺の所有する山林九反一畝十五歩、本堂、庫裡の建物と檀家二十数軒があるだけであつて、現に生活に困窮しているものと認められる。それ故に前記訴訟(当庁昭和三十三年(行)第五号事件)の判決を待つにおいては前記講師分限免職処分の執行により給与の途を絶たれている申請人に対して償うことのできない損害を生ずる虞があり且つ緊急の必要があると認められるから、その余の点を判断するまでもなく右行政処分の執行を一時停止するのを相当とする。
よつて申請人の申請を相当と認め、行政事件訴訟特例法第一〇条、第一条、民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 神谷敏夫 市原忠厚 川村フク子)
免職事由明細書
一、申請人は昭和二十三年八月、丹生高校四ケ浦分校(定時制課程)に就職以来、社会科を担当していたが、昭和三十二年三月までは、授業に当り単に教科書を朗読するだけで何等説明を加えず、生徒が質問すると之に答えることができなかつた、又は之を叱ることもあつた。
昭和三十二年三月中、被申請人より依願退職を勧奨した際右事実を指摘して、免職処分もあり得る旨警告した処、以来若干気を配つていたようである。
二、四ケ浦分校に於ては、昭和二十三年四月より昭和二十七年三月まで(坂井功氏及び山本寿氏が丹生高校長であた期間)の間は教員の出勤時刻について明確な定めがなかつた。授業時間は、午後六時三十分から午後九時二十分までゞあつて、その間七時五十分から八時まで十分間の休憩時間がある。昭和二十七年四月前田幸久氏が丹生高校長に着任したとき、定時制課程の教員の出勤時刻を午後四時と定め之を励行した。
申請人は昭和二十七年三月までは出勤時刻が非常におそく授業時間にも遅刻して来ることが屡々であつたが、昭和二十七年四月以後は午後四時の出勤時刻に出勤したことは一日もない位で、依然として授業時間にも遅れて来ることが屡々であつた。
昭和三十二年三月の退職勧告後は申請人は出勤時刻についても相当警戒していた模様である。
三、牧野福氏(昭和二十六年五月より昭和三十三年三月まで丹生高校定時制主事)が申請人に対し、勤務について度々注意を与えた処、申請人はその都度「自分は僧侶が本職で教師は副業であるから、そんなに精励できない」と答えていた。公務員たるの自覚に全く欠けているとしか考えられない状況であつた。
昭和二十七年十月頃、前田幸久校長が申請人を本校に招致して勤務について注意を与えた処、その直後にも申請人は檀家で右言葉を口にして不平を言つていた。
四、昭和二十六年中、山本寿校長が、四ケ浦分校へ視察に出たとき、当時生徒会長であつた浜野春松が同校長に対し、申請人の授業振や勤務について苦情を申出たが、同校長は「生徒がこのような方法で先生のことを申出るのは穏当でない」、と諭してかえしたことがあるが、申請人は生徒間にも信望がなかつた。
五、昭和二十五年三月、坂井功校長より
昭和二十六年十月頃山本寿校長より
大森陽(昭和二十四年九月より昭和二十八年八月まで高等学校人事係担当であつた)に対し
同僚との不和、勤務状況の不良、指導能力の欠如等を理由に申請人の処分を要求して来たが、昭和二十七年三月四ケ浦分校の助教諭であつた申請人の娘、鷹巣俊枝を依願退職させたので、昭和二十七年三月の異動に際しては申請人に対しては、何等の処分をしなかつたのであるが、昭和二十八年三月には前記のように前田校長より重ねて要請があつたので教諭を免じて講師に降格したのである。
他校へ転勤させようとしても受取手がないので転勤させることもできない有様であつた。
六、牧野福氏が昭和二十七年四月定時制主事に任命せられたので、其頃四ケ浦分校へ挨拶に行つた処、申請人は他の諸先生列座の前で、牧野氏に対し「自分は君より俸給が上だから君の云うことはきかない」と放言した事実がある。
七、山口校長が昭和三十二年三月中、牧野福氏を通じて申請人に対し、退職勧告が来ていることを告げた処、申請人は非常に激昂して、牧野氏に対し「お前の家も校長の家も火を放けて燃やしてやる」と云つた事実がある。
八、申請人が分校主任担当中、越前町より分校が受ける金銭、教育振興会費、生徒会費等の出納は申請人が専ら掌つていたが、その出納が全然不明確で昭和二十七年三月定時制主事の更迭の際、後任者に対し帳簿現金の引継がなく現在に至つている。
九、四ケ浦分校、学校図書室に備付ける書籍の購入について、申請人は専横を極め、全く無計画に町の予算を無視し、越前町宿に在る申請人の檀家の佐々木書店より納入するものをそのまゝ受入れていた。小説類が多く、理科系統の書籍が少く、生徒より図書購入について苦情の申立があり、職員よりも購入について一考されたい旨の申入れも聞かず坂井校長、山本校長等も生徒に不適なものも多いことを指摘されていた。
十、昭和二十七年十月四ケ浦分校に於て、研究授業が行われた際、申請人は当日参観者に渡すべき研究授業に対する指導案を全然作成してなかつたので定時制主事である牧野福氏が之を作成して与えた処気に入らぬとて一顧もせず、批判会の席上では質問に対し答弁ができなかつた。
研究授業に対してすら指導案を作つていないのであるから、日常の授業については何等の準備なくして臨んでいたことが推知せられるのである。
十一、前項研究会の展覧会の準備のため、田辺澄江講師が申請人に物つり用の釘を打つことを頼んだ処、申請人は校長も居ない処で働いても手柄にならんから手伝はできんと云つて帰つてしまつた。
又、研究授業終了後行われた懇親会の席上些細のことから樟本立殊教諭と喧嘩をはじめ樟本氏に退職を強要した事実がある。
右の以外にも同僚との折合が非常に悪く、同校の勤務となつた教師と不和を生じ四ケ浦分校に授業に行くことを嫌う教員が多く出た。
十二、昭和三十三年三月異動の際は被申請人方より高教組の副委員長書記長に対し、(書記長田中明氏、副委員長岩本巖氏)退職勧奨の対象となつている人の名簿を示して検討を願つた処申請人については組合としても擁護すべき人物でないとの言明があり、教組、丹生支部人事対策委員会に於ても申請人を退職させることについては異議がなかつたのであつて同僚間に全然信望がなかつたのである。
又申請人が親友であると称している北陸高校長鷲山氏も却つて申請人についてはかんばしからぬ人間だと評している。
十三、本問題が生じてから檀家総代から、住職がそんな訴訟を起すようでは法を説く人としては不適当だから住職をやめて欲しいと申込まれた本人は一時妻の実家(長崎)に帰る決心もしたことがあり、越前町からも鷹巣氏には後援会の金を渡さぬと言渡され不信用であつた。
十四、生活に困ると言いながら本来の業務である僧侶にも精励せず友人から説教に力を入れたらどうかと言われたが説教は不得意でやる気もないとし同町の同業者が少ない檀家でも立派にやつて行つているのに本人にはその意慾がないのは真に生活に困らぬからであろう。
十五、公簿の整理が不良であつて、その一例として永久保存の生徒の成績表に一部未記入のまゝ放置しておいたり教頭の点検印を貰つて後に成績点を故意に改ざんしたと見られる箇所が多く見受けられることである。